香乱記(四) 宮城谷昌光

香乱記〈4〉 (新潮文庫)香乱記〈4〉 (新潮文庫)
(2006/04)
宮城谷 昌光

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<あらすじ>
秦帝国滅亡後、中華は楚の覇王項羽の下で治められることとなった。が、項羽の論功行賞とその政治に疑問を抱いた田栄が反旗を翻す。田栄の反乱が口火となり各地で反乱が勃発。反乱の鎮圧に奔走される項羽の隙をつき、僻地に追いやられた漢の劉邦も旧秦地に侵攻を開始、中華の人口を半減させたといわれる楚漢戦争がはじまった。


前巻で秦帝国が滅亡し、「項羽と劉邦」のメインと言ってよい楚漢戦争が始まります。個人的に楚と漢の戦いより、前半の秦対諸侯連合軍の方が好きなんだけどなあ。三国志でも対董卓連合軍のあたりの方が三国鼎立の時代より面白いと思う。
項羽は自分がトップとなるのに邪魔な義帝を殺し、自分に都合の良い者、つき従った者を優遇し領土を与えます。そのため斉、燕、趙などでは元いた王の領土が僻地に追いやられ、項羽から派遣された王が主要地を治めることに。他にも劉邦を僻地に追いやり韓の王を殺害するなどやりたい放題。諸侯の間で項羽に対する不満が高まります。
この項羽のやり方に異を唱え、最初に戦いを挑んだのは斉の田栄でした。斉は趙王を奉戴する陳余と同盟を組み、盗賊である彭越に反乱を起こさせ、楚に対する反攻を開始する。最初に項羽に背いたことも重要だけど、この反乱がきっかけで劉邦が東進するためのきっかけを作ったことを考えると、斉と田栄次兄のやったことって歴史的なターニングポイントだよなあ。

田栄が歴史的に重要視されていない理由はあっさり歴史の舞台から消えてしまったことだろうか。が、この物語と田横にとってはとても存在の大きい人物でした。時代を超えて飛び抜けた兵法家の一人である項羽と田栄とではあまりにも格が違いすぎた。項羽の疾風怒濤の攻撃を受け、田栄率いる斉軍は惨敗。田栄は逃げたが、命欲しさに友人を売り渡すような不義の人間によって殺されてしまう。斉は楚軍に蹂躙され、滅亡寸前にまで陥る。が、斉にはまだ田横がいた。同盟のため趙に滞在していたので田横は無事だったのだ。兄の理想を受け継ぎ、斉の民を守るため田横は項羽に果敢に戦いを挑む。
この田横対項羽がこの作品で最も盛り上がるとこであり、田横の才が一番発揮されたところでしょう。

戦いは決着がつかず、ついに楚軍は退却。楚の首都彭城が劉邦に奪われたという情報が項羽の下に入り、城を漢軍が奪回するため項羽は斉を去ります。正確には勝ったというより負けなかったに近いが、田横は項羽に勝った数少ない名将と言えるのかもしれない。

なんとか難を逃れた斉は田栄の息子田広を王に立て、田横を宰相に国の復興作業に着手する。田横はここでも、その才を発揮して、国を建て直します。

斉は中立を貫いていたが、その間にも楚・漢やその他の諸侯は戦いを続け、戦況は漢が優勢となっていた。漢が躍進したのは項羽と並び中華の歴史にその人ありと名を残す漢の名将韓信によるものである。韓信は魏・趙を滅ぼし、韓信の軍は斉に近づきつつあった。
情勢は斉にとって中立なんて理想を貫ける状況では無くなりつつありました。


※ここから続きはネタバレがあります
斉では韓信の襲撃にそなえて国境の防備を固めていた。そんな時に、漢から斉に使者が来訪する。その使者の名は酈食其。彼は、韓信とは別に劉邦の命を受けて、斉に漢の下につくように説得するための外交官であった。
宰相である田横は情勢は中立を貫ける状況ではなく楚が滅ぶことを予測し、王である田広に漢と同盟するように薦めた。

田広と田横ともに、漢と劉邦には後ろ汚いところを感じて、漢との同盟は乗り気ではありませんでした。田広は漢と同盟したことにより斉も悪に染まってしまうのではないかと心配になりますが、田横はそうならないように努力すればいいと王を励まします。
この作品では劉邦は偽善者あるいは悪人と書かれています。田横たちをよいしょするため、劉邦のダークな部分を強調しすぎな気もしますが、彭城での乱痴気騒ぎや、項羽との盟約を破ったり、後に功臣たちを粛清したことを思えば、悪人として書かれる劉邦もなるほどと思えます。


田広は宰相の言うことに従い、漢との同盟を締結した。そして、国境の防備を解く命を出す・・・。

これで斉から脅威は去ったと思っていた田横であったが、田横の耳に信じられない情報が・・・。
韓信の軍が侵攻を開始し、斉の城が次々と落とされている!そんな、漢に騙されたのか!?

韓信は劉邦から斉侵攻を取りやめるよう命を受けていないという理由で、同盟締結を無視したのだ。突然のことに、田横もなすすべもなく漢軍に敗れ、斉の将軍たちと田広は斬られ、またたくまに斉は漢に征服されてしまった。
何もできずに絶望の底へ叩き落とされた田横の姿は、あまりにも痛ましくて読んでて正直辛かった。宮城谷作品で一番絶望感を感じた、燕を追われることになった楽毅や自ら死を選ぶことになった呂不韋の比じゃない。

絶望しているだけの時間は田横にはなかった。斉には田横に希望を託し死んでいった人々と、田横に希望を見ていた人々が生き残っていたからだ。
許負の予言どおり田横は王となった。
そして生き残った斉の人間とともに、僻地で漢軍と戦っていた。それは、項羽が垓下で死んだ後も・・・。
ついには中華で劉邦の下に属さない群雄は田横ただ一人になっていた。


田横は斉から舟に乗って、勃海の島へと逃げ込んだ。そこが田横の国となった。が、すぐさまその島に漢の使者がやってきた。使者が言うには田横とその部下の罪を許すから、皇帝の都に来いと。劉邦は皇帝になっていた。
斉の人々を殺したことを許せぬ田横は、劉邦の提案を断った。が、再び使者が来て、今度は都に来なければ、島の人間を皆殺しにすると脅迫した。もう田横には抗うすべはなかった。田横は、島を離れ、劉邦のもとへ向った。

田横は、漢の都洛陽から後三十里というところまで来ると、使者に、
「人臣が天子に謁見するのです。身を清めなければなりません」
とことわって休息所に入った。
実は田横は死ぬ気であった。田横は劉邦に許されて、王侯になることを恐れたのだ。劉邦の下で王侯となれば、劉邦を皇帝と認めたこととなり、兄田儋・田栄の正義と理想を汚してしまうことになる。
田横は自ら首をはねた。

田横の首は劉邦の下に届けられた。劉邦は、田横の見事さに涙し、田兄弟を称賛した。
このエピソードから劉邦はただの悪人だけではなく器量の大きな英雄でもあると宮城谷さんが認めている気がします。それに比べて韓信の小者っぷりを見るに宮城谷さんは韓信が本気で嫌いなんだろうなあ。

田横は劉邦により王の礼を持って葬られた。自ら死を選んだのは田横だけではなかった。田横につき従った藺林と岸当も田横とともに行くことを選んで、田横の墓の前で首をはねた。島に残った人間の多くも田横といっしょに死ぬことを選び首をはねた。
しかし、島には生き残った人間がいた。田横の妻となった蘭と主君の奥方を守るために生き残った部下たちである。蘭のお腹の中には田横との子供の命が宿っていた。そのため生きることを蘭は選んだのだ。蘭と部下たちは島を出て舟で新天地を目指すこととなった。その舟が新天地にたどり着けたかどうかはわからない。


宮城谷さんは田横の部下たちの言葉を借りて、田横が理想の人物であり彼が天下を取ればいいのにと言わせている。しかし、田横が天下を取れたとは自分はとても思えない。楚漢戦争の時代は策謀渦巻き、生き残るためなら裏切ることも許される時代であった。そんな時代に田横が理想を貫いて、天下を取れたであろうか。理想を貫いて生きていける時代は戦国時代が終焉し秦が誕生したときから終わったのだと思う。そう思うと、田横は楚漢戦争の時代の人間というより、春秋戦国時代を通じての斉国の生き残りであり、前時代の人間だったんだろう。田横は春秋戦国時代の人間であった。そう思うと、前時代の価値観を信じて田横は、項羽と劉邦だけでなく新しい時代とも戦っていたのかもしれない。田横という男は不屈の人というだけでなくもっと大きな存在なのかもしれない。


この『香乱記』という作品は他の宮城谷作品と比べて評価はあまり高くないような気がします。
主人公である田横をよいしょししすぎている(さすがに項羽を剣で打ち負かしたのは自分もどうかと思った)、劉邦や韓信といった楚漢戦争の英雄を貶めすぎとかいったことで評価を落としているみたいです。
確かに、そういったことが自分も気にはなります。歴史小説として主人公を良くみせるため過剰なフィクションはリアリティを削ぐことになるし、敵対する人間を矮小化させ主人公を良くみせるのも安易かもしれません。
それでもこの作品が好きだと自分は声を大にしていいたい。
歴史小説として欠点があっても、安易な手法が使われても、田横とその仲間たちの物語が好きなのです。田儋・田栄の二人の兄、七星や藺林などの部下たち、季桐や蘭さまなどの女性陣など田横を中心とする集団が好きだった。
そんな彼らの行動にわくわくし、ときには涙し心を打たれた。心を動かされた作品を愛さないでいられようか。
評価が低い理由もわかる、でも愛したいそんな作品でした。
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テーマ : 歴史小説
ジャンル : 小説・文学

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